真田太平記考・・真田家勃興の地を訪ねて

お矢来すずめ

皆さん、こんばんは。
 
夜の寝苦しさもかなり解消され、その分朝の目覚めもすっきりとして、日なかに頬を撫でる風にも秋を感じますね。天高く食欲の秋、そして夜長は読書ですね~。
 
 
 
さて以前、投稿しました伊予小松藩と同様に、小さな藩で外様大名でもある真田家は、戦国期においては居城の上田城を拠点に押し寄せる徳川の大軍を相手に巧みな戦術をもって二度も退けるという離れ業を演じ、はては徳川の時代となっても上田領から松代への領地替えにも耐え、度々の取り潰しの危難をも老獪な政治戦略をもって巧みに乗り越え明治の世まで家名を守り通したという、真田家に纏わる逸話はまさしく痛快なる時代小説のネタとして様々な作家が採りあげています。
 
中でも、池波正太郎が著した『真田太平記』は余りにも有名且つ秀逸で池波自身相当な調査(古い文献と現地調査)を持ってして全16巻(単行本)を世に出しています。
 
 
 
私が池波作品に触れたのは40代になってから、以来この真田太平記、鬼平犯科帳(全24巻)、剣客商売(全19巻)、仕掛け人藤枝梅安(全7巻)の各シリーズを読み終えた頃にはもう池波ワールドの虜になり、今も暇があれば図書館の池波コーナーを漁り続け、忍者もの、豪傑もの、偉人伝、大名秘話そしてエッセイ集とランダムに読み進んでも、未だ氏の膨大な作品群の三分の一がやっとのこと。世にあまたいる池波ファンの一人として遺作全巻読破を目指してはいるものの・・はてさて。
 
 
 
そこで、先般白馬岳山行で長野県に足を下ろしたのを機に長年の想いでもある真田の里巡りを果たして来ました。


まず訪れたのは日本史戦国期の檜舞台に真田の名が躍り出るきっかけとなった上田城です。

 

「上田城東虎口櫓門」

日本一の大河・千曲川を正面すぐそこに置いていて、あとの三方周りは河岸段丘を巧みに取り込んだ要害の地を選んでの城造りは、簡素であって規模も小さくともさすがに難攻不落も然りと想わせる巧みな籠城戦術が偲ばれるものでした。
 
写真は現在の上田城で左右に北櫓と南櫓を控える東虎口櫓門ですが、これは城主真田信幸(のちに信之)が幕府の命により松代に領地替えとなり、代わりに入府した仙石家、またその後の松平家によってこのように綺麗で立派なお城に整備されたようです。 


そしてこの後、是非とも訪れてみたかったのが、以前、「え?姫」さんが教えてくれていました我らが母校と同じく掘割に囲まれ屋敷門を正門に据えた長野県立上田高校にも立ち寄ってみました。
 
そこは、お城の外堀に沿った外曲輪に位置し、真田信之が松代の地に転封されるまで日々の生活を送ったとされる屋敷跡として知られています。
 
さすが、質素倹約家の信之が暮らした屋敷周りだけあって落ち着いた雰囲気を醸していて、当日1学期の終業式ということもあって静かに佇む素敵な学び舎でした。

 

「上田高校正門」 


上田城も藩主屋敷跡もJR上田駅から歩いてすぐの所でしたが、この後目指した真田家発祥の地とされる真田郷とその本城跡へはバスも考えたのですが、まだこの日のうちに松代へも足を延ばすつもりでしたのでやはり選択肢はレンタカーでした。
 
途中、道迷いもあったりして30分以上掛って山間いにある史跡・真田家本城跡に・・はて、どこかで見たような・・?。そうです、我が西条にもある戦国期の古城跡、高峠城址や氷見の高尾城址と規模といい造りといい本当に瓜二つと言っていいほどよく似た造りなので、ますます真田家に対して親近感を抱いたのものです。


「真田氏本城跡」 


その小高い眺めの良い本城跡の眼下には、右から左へと神川(かんがわ)がゆるやな流れを見せていて、その先1里半で上田盆地を潤す千曲川に注ぎ込む支流となっている。
 
山と山に挟まれ神川沿いにちょっとだけ開けたこの真田郷は、古い文献では狭田、実田と表記されるほど小規模な田畑がひしめき合いそれでいて豊かな実りをもたらす豊穣の地でもあり、またその神川を上流へと遡り峠を越えればそこは上州の地、利根川の源流域へと繋がって関東、越後、信濃を結ぶ重要な街道筋となっていたとのこと。その真田郷に根を下ろし力を付けたのが真田氏の興りとされ、周辺豪族との幾度の戦や小競り合いを凌ぎ切りながらやがて、写真正面に聳える山崖にあった村上氏(上杉方)の出城・砥石城を真田幸隆が一夜にして落したことから、武田信玄にその武功を認められ上田の地に城を築き支配することを許され、なお且つ武田家を支える二十四将の一人として列挙されるまでに至ったのである。


「真田の庄」


さて話は行ったり来たりになりますが、真田家躍動期の戦国の世から天下太平の徳川時代へと天下の情勢は激変してゆく流れの中で、打ち続く下剋上に翻弄されながらも蜂の一刺しをもって真田家はしぶとく権謀術数の限りを尽くして生き残り、時には忍従の態を示し、果ては父祖の地をも手放してまでこの松代の地に新たな藩地を開き、松代藩十万石にて明治の世まで十代を繋いでいくことになるのである。
 
ここ松代城は上田城から距離にして十里程、レンタカーで迷わず行けば一時間と掛らない距離、大河千曲川が上田盆地から善光寺平に抜け出た喉首に位置していて、この城の元の始まりは信州にあった武田信玄が信濃支配に本格的に乗り出すうえで北信濃に在った諸豪族を擁護する上杉謙信との決戦は必至と想定、、急ぎ山本勘助に命じ築いた海津城(古くは茅が生い茂っていた土地ということで茅津城)であり、それに呼応して相対する上杉謙信が決戦の陣を敷いた妻女山は目と鼻の先に、そして戦国史上余りにも有名な大将同士の一騎打ちがあったとされる川中島古戦場もすぐそこという、歴史好きにとってはそこら辺に立つだけで大合戦のまっ只中にいて怒号さえも聞こえてきそうな錯想に囚われるホットスポットとなっています。


「松代城・海津城」


・・とざっと急ぎ真田家にとっての激動期の顛末をつらつらと述べてきました。一夜にして砥石城を攻略して武田信玄に真田家在りと武名を誇示した中興の祖・幸隆、そしてその三男昌幸(長男及び次男は度重なる戦により戦死)の代には真田家渇望の地、上田原に上田城を築城し益々武勇留まるところを知らず上州(群馬県)にまで勢力を拡大することを得たのである。その父祖の背中を見ながら育った昌幸の二人の息子・・長男・信之は冷静沈着にして思慮深く機を見て下す差配には私心無く深沈重厚を絵にかいたような人物、方や二男・幸村は武勇の家名と己が滾る戦国武士としての意地と誇りを飽くまで大事とした生涯。真田家の兄弟でありながら袂を分かちそれぞれの道を選び其のうえで且つ双方ともに歴史にその名を留め、今も二人がそれぞれに多くのファンを持つに至っている事は、正に真田家の生き方そのもが子、孫、子々孫々に受け継がれる基礎となるものがこの三代時期に確立されたように思うのです。
 

 

私が好きなのは信之・・自然体で事物に固執せず時代の趨勢を読み流れを掴んでその時に出来うる限りの最善を尽くす・・そこでの判断を必要とされるあらゆる事に対しても人に対しても表面的な現象に左右されるのではなく、常にその本質を見極めようとする眼力・胆力を持っていた、けっして豪放豪傑とは違い誠実を貫き通した人物のように想う。徳川の世に至っては何んとそれまで敵対していた徳川家康の養女(家康の重臣・本田忠勝の娘)を正室に迎え、大阪の陣(冬・夏)では袂を分かった弟・幸村との直接対決を得意の言い回しで回避、その後の徳川家による上田城破却措置には外堀曲輪に質素な屋敷を構えて忍び、挙句二代将軍秀忠には松代への転地を言い渡されるに至っては、上田領7万石から実質石高5万石もなかった松代領(名目10万石)への領地替えの沙汰に対しても・・有り難く御請け仕まつる・・と粛々と移って行ったその道中は農民、商人、あらゆる領民がこぞって信之主従を見送った(真田太平記)・・と記されている。
 
 
 
真田家は、上田時代に二度も徳川の大軍を退け、なかでも後に二代将軍となる秀忠の関ヶ原戦役遅延を余儀なくさせ煮え湯を飲ませた恨みも買い、先にも述べたように不本意な松代転地にも、またその他様々なパワハラにも耐えながら、なんと三代将軍家光の頃には、その家光をして・・豆州(真田伊豆守信之)は天下の飾り・・とまで云わしめる程にその人となり生き方が信頼をされ、外様の身でありながら幕閣内での様々な役職にも付きなんと九十一歳まで隠居願いが許されず、家康から四代将軍家綱に及ぶ徳川幕府の治世に関与し、、、当時としてはギネス物の九十三歳まで天寿を全うしたそうである。その死去に際しては、松代領内、藩士、領民こぞって喪に伏し・・出家するもの後を絶たず・・と記されるほど慕われた名君で、その精神は真田家においては家訓として脈々と受け継がれることになり、幕末には幕府老中の職まで得ているのである。明治の世に変わっても初めは子爵であったものがその後、伯爵家へと昇爵を得ていることをみても如何に真田家は時々の政権に必要不可欠な存在であり続けていたかを如実に表していると思うのです。
 
 
 
真田の地探訪では上記の他に真田氏歴史館、池波正太郎真田太平記館にも足を運び真田家の歴史にどっぷりと浸かって堪能した旅となりました。

コメント: 9
  • #9

    桜餅 (土曜日, 01 12月 2018)

    必殺仕掛け人が池波正太郎の原作だったとは。
    見た事がなくて、知りませんでした。
    調べたらコミックもあるようで、すごい人ですね。

  • #8

    パタリロ (土曜日, 01 12月 2018 07:35)

    桜餅さん、はじめまして。

    池波正太郎さんの作品では、「仕掛人」が好きですよ。
    まあ、これはテレビの必殺シリーズがきっかけですが(笑)

  • #7

    桜餅 (水曜日, 28 11月 2018 22:40)

    パタリロ様、こんにちは。
    歴史には余りご興味がないとのこと。
    もし読書がお好きでいらしたら、すずめ様ご推薦の池波正太郎を手に取られるとパタリロ様にピント来る人物や時代がおありかもしれません。

    こちらはすずめ様のこの大作真田太平記のように、皆様、美しい景色のお写真や歴史、登山、天体などのご趣味や日々のささやかなことをお寄せくださっています。

    パタリロ様のお好きなこと、日々のこと。宜しければいつかご投稿くださいませ。
    お待ちしております。

  • #6

    パタリロ (土曜日, 24 11月 2018 22:29)

    私は歴史にあまり興味がないので、大河ドラマの真田丸を見てなかったのですが、これを読んで少し興味を持ちました。
    機会があれば戦国時代の本などを呼んでみたいと思います。

  • #5

    ひねもす・のたり (日曜日, 07 10月 2018 18:16)

    こんばんは。

    すずめさんもTVドラマ「真田太平記」がきっかけでしたか。
    当時は大河ドラマとは別に1年間の大型長編時代劇が流行り楽しみでしたね~。
    昭和後期、多分34~5年前になるかも。

    真田信之は昌幸・幸村とは親子であり兄弟、身内ならではのしがらみの中で豊臣方や徳川方の利害と駆け引きをも忍びながら乗り越え、決断を余儀なくされる度、時代を俯瞰したような泰然とした判断で、流れを引き寄せながら生きてゆく信之の人間力と滲み出る魅力にゾッコンでした。

    一方の弟幸村は武将としての実力も人間としての魅力度も信之に勝るとも劣らず「好きな武将ランキング」では常にトップクラスで、幸村が嫌いだと言う方は余り居ないでしょうね。私も大好きな武将の一人です。

    余りにも個性が違う天才のこの兄弟は比較のしようが無いですね。私は真田派で一票。

    桜さん九度山巡りご経験とは、恐れ入りまする。
    ところですずめさん、私は以来“渡瀬恒彦”の演技力にもゾッコンになりましてね。

    真田信之とは時代背景も立場も違う偉人ですが、江戸城無血開城を成し遂げた「勝海舟」が私の最も尊敬する人物で、若い頃から渡瀬恒彦に勝海舟役を演じて欲しいと待ち望んでいたのですが、昨年亡くなったのが何よりも残念で残念で。

    尤も近年は大河ドラマ以外の大型長編時代劇は人気も下火で(と言うより制作費がかかりすぎる)…。
    今夜は楽しみの「西郷どん」がありますよ。

  • #4

    桜餅 (水曜日, 03 10月 2018 23:34)

    え、姫様に伺って以来気になっていた上田のご門や諸々、真田ゆかりの地を巡られたとのこと。
    大変読み応えのある真田太平記を興味津々で拝読いたしました。

    白馬岳から足を延ばしていかれたのですね。うらやましい行程です。レンタカーを借りて、あれこれと楽しんで巡るご様子が目に浮かぶようです。
    その手の歴史書の読書量も浅く遠く及びませんが、私も嬉々として誰もいないような史跡をめぐるタイプでなので、とても親近感を覚えています。ひうち様、百名城を全制覇ですか?すごいです。皆様、歴史がお好きなのですね。

    すずめ様は真田家本城跡まで。
    建造物が無くなった史跡まで巡る方はそんなに多いとは思えません。よほど好きでないとなかなかと思います。

    すずめ様やのたり様は信之派とのこと。私は断然幸村派でして、数年前には雌伏の地九度山を巡り益々敬愛の思いを強くしているところです。
    皆様とのHP上で歴史談義ができるなんて!
    それぞれの歴史があれば、見方も違いますものね。百名城話も機会ありましたら是非お聞かせくださいませ。楽しみにしております。

  • #3

    お矢来すずめ (火曜日, 02 10月 2018 21:25)

    ひうちさんは百名城巡りで日本全国を走り回ってたんですよね~。
    どうです、そのひうちコレクションの中から、お気に入りの『ベスト10はこれだ城!』というふうなブログ企画も期待したいですが如何・・・茶化してるようですが、本心知りたいです。

    何とひうちさん、私もその渡瀬恒彦が演じた信之役のNHKの連続時代劇「真田太平記」を見て池波作品にはまる事になったんですよ。丹波哲郎が昌幸、草刈政雄が幸村役という絶妙のキャスティングで進行するドラマに毎週釘付けで見てました。草の者、お江(女優の名前が・・?)もよかった・・♡。

  • #2

    ひねもす・のたり (火曜日, 02 10月 2018 19:42)

    すずめさんこんばんは。熱!筆ありがとう。

    私の様な単純な歴史好きでは、この様に的確な表現で文章にまとめ上げる事はとても出来ませんが、「花図鑑」の折り(以前に投稿いただいた)に図書館通いされて山野草の名を調べた研究熱心さに加え、若い頃からの読書量と人生経験などが相まって醸し出された素晴らしい文ですね。

    まさに“いい旅”でしたね。それぞれの一枚一枚の写真とコメントからは、すずめさんの高揚感がしっかりとこちらに伝わって嬉しくなってきます。
    こんなに上手く要点をコンパクト伝えるのは、なかなか容易な事では有りません。

    ところで私も実は「信之」ファンぞね。きっかけは読書でなく、渡瀬恒彦から…
    長くなるのでいずれまた。

  • #1

    ひうち灘 (火曜日, 02 10月 2018)

    すずめさんこんにちは。
     真田太平記考・・真田家勃興の地を訪ねて
    を拝見しました。

    私も、百名城巡りで上田城東虎口櫓門は見ていますが…
    ただ、スタンプラリーでたどり着いたらそれでよしとして巡った次第で面目ないです。
    (言わずもがな。長野県立上田高校にも立ち寄っていません)

    論評など遠く及びません。
    ただただ素晴らしい歴史探訪記ありがとうございました。
    勉強になりました。