井仁の棚田

ひねもす・のたり

みなさまこんばんは。ご無沙汰してました。
広島では今年の梅雨はもう終わったのかな?と勘違いしそうな暑さとなっていましたが、
明日はやや下り坂の天気模様ですが、明後日からまた…暑くなりそうな…

 

さて久々のブログ投稿になりましたが、タイトル通り「井仁の棚田」の写真をお届けします。

 

先日5月21日に行って撮った写真ですが、6年前にほぼ同じ時期に行って以来です。

広島の皆様や広島道前会の皆様はご存知かと思いますが、日本の棚田百選の一つで、
知る人ぞ知る?(隠れ?)スポットです。

山県郡(やまがたぐん)安芸太田町 中筒賀(なかつつが)井仁(いに)にある棚田で、

子供たちの田植え体験を含め、棚田を維持しようと頑張る若者や青年達ボランティアの手を

借りながら、毎年5月の連休に一斉に田植えをするそうです。

 

奥深い山道の短いトンネルを抜けると

井仁の棚田であった。

日本棚田百選

平安時代末期から鎌倉時代にかけて開墾が行われ、室町時代前期には村落の形成が始まった。
との事でその時代の石積みも現存します。

 

棚田は「人間と共に生きている間だけが棚田。」と言われるほど維持するのが困難ですが、
この奥深い山の中で、千年近い幾星霜の時を経て人々が連綿と棚田を維持して来た事には
「想像を絶する」…という言葉しか見当たりません。

 

室町時代の頃から、さほど変わらないであろう風景

黄金色の秋にも行ってみたい。

靄にも雲海にも めぐり合ってみたい。

黄金色に輝く稲穂も撮ってみたい

今回は6年前と比べると、まだ水を引いていない田がまばらにあり、来季に課題を残した

状況になっているのかなと心配しましたが、水は引かれていないものの、きれいに耕され

準備万端の感があり、地主さんの考えもあって、遅らせて植える予定なのでしょう。

大変でしょうが、そう願っています。

 

過去画像です。

2012.5.27 の画像を編集しました。

2012.5.27 の画像を編集しました。

 

人間と自然の共存が、昔と変わらぬ風景を今も見せてくれています。

考えさせられる一日でした。

 

季節や時間の違いで、かなり雰囲気の異なる写真が撮れそうです。

 

写真を撮りながら、
「黄金色になる秋にも是非撮ってみたい。」
「靄も撮ってみたい。
「雲海も撮ってみたい。
と思いつつこの場を後にしました。

 

またその節は是非掲載したいと思います。お粗末様でした。

コメント: 4
  • #4

    桜餅 (土曜日, 02 6月 2018 15:25)

    こんにちは。井仁の棚田、千町の棚田のご紹介ありがとうございます。いずれも初めて知りました。
    井仁の棚田は調べたら、CNNの日本の最も美しい景色34選に県内では宮島と並んで選出されているような美しさなのですね。知りませんでした。

    千年も昔から都の華やかさとはほど多いところで、ただ営々脈々と作業効率も悪いであろう狭い棚田を守ってきた人々がいたことを思わずにいられません。

    すずめ様の千町の棚田の話で、伊藤某のくだりで西条に暮らしていたとき多かった苗字の事を思いました。今も調べたら変わらず西条市には1伊藤さん2越智さん3高橋さんが多いようで、伊藤さんは多かったなと思います。クラスに必ず2-3人は伊藤さんだったような。

    こちらのHPでは、広島やふるさと愛媛の知らなかった美しい景色の名所を皆様が紹介くださるので、いつか機会があれば行きたいと思いながら忘れてしまいそうなので、最近になって手帳にリストアップを始めました。メモしておいて、機会をうかがっていつか実物を見てみたいです。

  • #3

    ひねもす・のたり (月曜日, 28 5月 2018 21:18)

    すずめさん、ひうちさん、こんばんは。

    千町の情報ありがとう。
    6年前に井仁の棚田に行ったきっかけは、実は千町だったのです。
    題名を忘れましたが、友人から送られてきた一冊の本(西条の史実)の中に、千町の棚田の記述が有り初めて知りました。

    その本がきっかけとなりネットで千町の棚田を調べると、一枚の白黒の航空写真の棚田と集落の(昭和初期頃か戦後の写真でしょうか?)その広さに釘付けとなりました。
    私も「西条の事をあまり知らないな…と思いつつ…広島の棚田はどうだろう」と調べているうちに、井仁の棚田を見つけて6年前に行った次第。

    すずめさんの表現を借りますが、井仁はまさに箱庭のようで、千町とは比較にならない狭さですが、その分手入れが行き届いていると言えるかも知れません。

    余談ですが、千町は伊藤姓と高橋姓が殆どで、同級のK.T君の祖父の代は千町で
    あった事を後年知りました。

    今より少し遅い時期か夏だったか…遅ればせながら昨年やっと千町に入ったのですが、「あまりにも広くて維持が難しいんだな!」と少し残念な気持ちを感じながら千町を離れました。

    千町の『西条加茂そばクラブ』に顔を出していたとは、アクティヴですね。

    田毎の月!よっしゃ~!頂き~!と思いましたが、甘くないですね。
    ひうちさんから回答頂きました。
    どうやら見えないか見えにくいらしい。天文家のひうちさんの調査ですので間違いないでしょうね。残念!!! 
    その他の写し方でチャレンジして見ます。

    さ~て、先日よりすずめさんから預かってるブログ記事と写真、今からアップします。
    しばし待ってよ。

  • #2

    ひうち灘 (日曜日, 27 5月 2018 05:58)

    のたりさんおはようございます。
    「井仁の棚田」きれいに整備された素晴らしいところですね。
    千年前の風景が見える…そう思うとこの場所に行って何かを感じてみたい…そんな気持ちになりました。
    それにしても全体が見える場所があるとは羨ましい。案外見晴らしがいまいちというところも多いのですが「井仁の棚田」いいですね…行ってみたい!!
    霧に雲海に黄金色の稲穂すべて見たいです。

    ところですずめさん~田毎の月は見えません(>_<)残念。

  • #1

    お矢来すずめ (土曜日, 26 5月 2018 21:30)

    のたりさん・・こんばんは。

    井仁の棚田・・きれいに整備されていてまさに日本の原風景そのものですね。歴史も古く、平安期より現在に至る千年のときを営々と開墾の手を休めず維持してきた先人達の営みにはただただ敬服するのみですね。

    のたりさんが訪れた日は気持ちのいい青空が棚田の水面に映ってさぞかし清々しい想いをされたことでしょうね。これが季節の移ろいによってまた装いを変えた写真も、私も是非見てみたいものです。そうだ、まだ間に合えば田毎の月なんかも見られるかな~?。

    棚田と聞けば、私も数年前まで『西条加茂そばクラブ』というそば打ちの愛好会に所属していて、そのクラブが拠点としている千町(せんじょう)に足しげく通っていたものです。市街地からそう遠くない加茂川中流域にあって、寒風山方向に車を走らせているといきなり車窓前方上方の山肌に広がる何百枚の棚田が目に飛び込んできます。そこも井仁の地形に大変似ていて、三方を山に囲まれた箱庭のような山里の雰囲気を遺しています。
    数少なくなった住民で古老の方の話では、ここに最初に住みついたのは・・
    天正の陣の折、新居郡を領袖していた金子一族を救わんがため土佐の長宗我部より援軍の命を受けた伊藤何某が途中、故あってこの地に住み暮らすことになったのが始まりとのことです。
    井仁の棚田よりは歴史的に新しいのですが、ここにはつい数十年前には数百軒の民家や小学校まであったそうです。ちょっと長くなりましたが、、地質学に詳しい方の話では、古代に山肌が崩れゆるい傾斜地が現れ、むき出しの瓦礫地からは地下水脈が顔を出し、なおかつ棚田の材料となる石が無尽蔵に手に入ったことが千町集落形成の要因とのことでした。

    事の成り行きでちょっと長くなりましたが、すずめのワンポイントレッスン・・こちらもお粗末様でした。