大崎上島町 大望月邸

 

ひねもす・のたり

 

広島便りが二か月近くも空いてしまいました。ご無沙汰しています。

 

1月中旬に仕事で訪れた際に、以前から気になっていた大望月邸に初めて入ってみました。

 

ブログを開始して数回目で「とびしま海道」を紹介したことがあります。

 

大崎上島町の南西部に一回り小さな「大崎下島町」がありますが、そこは広島から愛媛県

今治市の岡村島まで七つの橋「とびしま海道」で繋がる島です。

 

しかし「大崎上島町」への橋はありません。フェリー航路です。
竹原市から、東広島市安芸津町から、大崎下島町から、そして今治市からです。
平成の大合併で大崎下島町は呉市豊町になり、大崎上島町はそのまま豊田郡です。

 

数年前(十年位になるかな?)に映画「東京物語」のロケ地に選ばれた、まさに風光明媚な島です。
今回はその「豊田郡大崎上島町」にある大望月邸の紹介です。

 

紹介と言うよりも写真の掲載です。悪しからず。

 

大望月邸

屋根瓦の丸みは、「武家屋敷様式です。」と解説されましたが、実際は「町屋など主に商人などの、広い家に用いられた」日本様式の屋根です。起くり屋根(むくりやね)と言います。

 

展示室

櫂伝馬競漕は地域周辺では凄く有名です。

安易な鍛え方では体力が持ちません。若者もこの日に向けて帰ってきます。

「豊田郡大崎上島町」良い島です。機会があればお出かけ下さい。

コメント: 4
  • #4

    ひうち灘 (月曜日, 26 2月 2018 18:20)

    のたりさん今晩は。
    大崎上島、大望月邸の紹介ありがとうございます。
    大三島の左側の島で、とびしま海道の上に位置し橋ではつながっていない離島などなど、初めて意識した島でした。
    私が時折登っている今治の笠松山から見えていた島だとは…ブログを読んだ後、撮った写真を見直してみると写っていました。

    またブログ写真を見て目に付いたのは大望月邸の「屋根」です。一目見ておもしろい形をした屋根だなと思ってまじまじと見ました。
    なぜ屋根が目に付いたのかというと、以前私が旧西條藩陣屋北御門をパソコンで作った(ブログ西条便りに掲載)際に、屋根が一番難しく時間がかったからです。日本様式の屋根でむくり屋根ですか…すごい作りの屋根ですね。
    機会を作って櫂伝馬競漕や、むくり屋根を一度見たいものです。

  • #3

    ひねもす・のたり (日曜日, 25 2月 2018 21:44)

    ひみこさん、桜餅さんこんばんは。

    大望月邸は江戸時代に廻船業で財をなした、大商家です。
    慶応の時代にこの地で生まれた望月圭介翁は、明治から昭和初期にかけて、
    政治家となり、逓信大臣などを務めました。
    池田勇人元総理や、宮沢喜一元総理の大先輩にあたる方で、相当な人望の持主であったと聞きます。
    現在は町が運営管理しているそうですが、沢山の方が訪れるよう工夫して欲しいものです。

  • #2

    桜餅 (日曜日, 25 2月 2018 15:53)

    のたりさん、こんにちは。

    大望月邸、初めて知りました。立派な日本家屋ですね。
    西洋のゴージャスな建物も美しいですが、余分なものがない清潔で障子やふすまがある日本家屋は本当に日本人らしい美しい建築物だなと思います。
    有か無しかではない、気配がうかがえる障子の明かりなんていうのは奥ゆかしくて、改めて美しさに驚かされます。現在の生活ではなくなりつつありますが、消えてほしくないです。

    年を重ねるごとに日本の古くて美しいもの、がより好ましく思えるようになってきます。



  • #1

    なつめひみこ (日曜日, 25 2月 2018 14:31)

    のたりさん こんにちは。

    HP トップ頁の写真選び・ブログの編集・温故知新に掲示板投稿・・・にと
    『のたりかな』とはほど遠い、お時間費やして頂いて感謝です。

    以前住んでいた町内に、大崎上島町出身の方がいらっしゃいました。
    井戸端会議?の折に「大望月邸」のこともちらりとお話しなさって
    いましたが、今回UPしてくださった写真で、
    想像以上に広く立派な造りで驚きました。

    お薦めのとびしま街道経由で、故郷へを
    いつか必ず実現したいと思います。