西条高校の想い出 (53回生)

たか

 

昭和25年4月に入学したが、新学区制、男女共学の関係で、諸設備や先生の入れ替わり、
転入転出の上級生、新入生など、不慣れな校内環境で混乱した時代でありました。

 

〇終戦後の混乱期で物品も不足しており、弁当も不十分で弁当が盗られる事もあった。
クラブ活動は空腹でやり切れない。私は卓球に席を置いたが、自分のレベルが低く余り練習はしなかった。
クラブ活動は野球部が活発で、予算の大半が取られ不満であった。

広島銀行に入社し卓球大会にて上位入賞し、社会人として卓球部に入部したが長くは続かなかった。

その後年、西条高校野球部出身の藤田元司氏が巨人軍で活躍して有名になり、

予算の大半が野球部で不満だった高校時代の事など忘れて、西条高校の一級先輩だと自慢したものです。

高校への通学待ち時間には、光明寺の脇(紺屋町)のヤミ市で、食パンやうどん等が売られていた。それらで空腹を満たす為、母に「参考書購入」と偽りの申告をして小遣い銭を作っていた常習犯。

 

《現役の学生さんがこのブログ記事を読まれてるなら、
                          この辺りの内容については、反面教師として捉えて下されば幸いです。》

 

そんな厳しい物資不足の時代でありながら、不良学生振って「通学列車のデッキ」や「お矢来」で喫煙したり、また食料不足の時代でもあり、悪友達と自宅近くで夜間に「柿や柑橘等の果物窃盗ごっこ。」

 

また同級生宅に行きご馳走になり、夜を徹して「青春を語り合った」事などは懐かしい。

 

〇勉強は余りしなかったが、3年生の一学期に「熱黄疸」にかかり、
全身が黄色くなり、眼球も尿も汗も黄色く尿は血尿の如くで、医師より「絶対安静」を宣告された。薬は無く食事療法 ( 塩分無しの粥と野菜、しじみ汁 )が一ヶ月続いた。
全身の倦怠感を押し切って通学した結果、一学期の成績は全科目トップとなり、担任の猪川先生に「驚いた」と発表された。 
しかし医師に「良く命が有ったものだ」と言われて、私自身も「驚いた」と共に大きな自信となりました。

 

〇今こうして振り返り考えると
『大勢の子供、多くの農作業、大家族の食事、我が儘な父』に全力を尽くした母の姿 (今は亡き)に感謝するばかりです。

コメント: 3
  • #3

    桜餅 (日曜日, 25 2月 2018 14:36)

    たかさん、ご投稿ありがとうございます。私は戦後20年以上たって生まれた世代です。

    食糧難。弁当にも事欠き、闇市で空腹を満たす。そして、男女共学になった混乱。
    私の世代には、男女の同権は大方当然になっており、おなかをすかせる、など他所の国の話になっていました。日本は豊かな先進国であり、貧しい他所の国への募金を。そんな時代になっていました。

    たった、数十年で復興を遂げた日本のすさまじさと先人の苦労を改めて思ったりしました。
    背伸びをしたい高校生、今も昔も変わらないですね。

    ご投稿から色濃く時代が伺えました。世代で同じ高校生活もこんなに違うなんて。
    貴重なお話に感謝申し上げます。

  • #2

    なつめひみこ (日曜日, 25 2月 2018 12:06)

    たかさん 初めまして ひみこです。

    高校時代の思い出 興味深く拝読。
    戦後の混乱期の中、いろいろ「やんちゃ!?」もなさったことも含め
    「青春」なさっていたのですね。

    『全力を尽くした母の姿に感謝』
    お母様がいついかなる場合も全力を尽くされているお姿は、
    たかさんの記憶のなかでいつまでも鮮明に蘇ってくることでしょう。

    私も、一生懸命に生き抜いた母と 
    ♪冬を愛する人は 心広き人
     根雪を溶かす大地のような ぼくの母親
     四季の歌 の歌詞が自然と浮かんできました。
    ありがとうございました。

  • #1

    ひねもす・のたり (金曜日, 16 2月 2018 00:00)

    たかさん初めまして。
    投稿を封書でいただきながら、ブログに掲載するまで随分と時間がかかり申し訳ありませんでした。
    「西条高校 温故知新」をカテゴリーに追加して、一回目に「西条中学時代」をアップしましたが、何故か上手くリンクが出来ず、開発元のチーム担当とのやり取りを繰り返してやっと解消しましたので、早速本日投稿をアップしました。
    有難うございました。
    新学区制、男女共学など、戦後の混乱期を経て、新しい時代へ移り変わる大変難しい時期だったのですね。
    私は68回生で大分後輩になりますが、それでも小学生の頃は進駐軍お下がりの真鍮のお皿に「コッペパン」「脱脂粉乳」たまに「肝油ドロップ」など、充分でなかった給食の記憶が残っています。
    大変貴重なお話を聞かせていただき有難うございました。
    また、身近なお話など有りましたらお寄せ下さい。